私の両親は1930年代の世界大恐慌の中を生きました。私の母方の家族は住んでいるアパートの家賃さえ払えませんでした。イリノイ州、デカツルで道に放り出されなかったのは大家さんが寛大な人だったからでした。この大変な貧困の時代に母の家族が口にしていたものは、カブやカブハボタンやジャガイモなどでした。この、貧乏のつらさを自分の子供たちにはあじあわせたくないという思いが母に強い決心をさせました。
私が育ったころは、卵とベーコンを朝食に、肉を挟んだサンドイッチを昼食に、そして、夕食はといえば牛肉か豚肉か鶏肉が中心でした。そして、この、でんぷんの少ない食事は、三食とも牛乳付でした。この食事の健康への効果は強い教訓になりました。私が記憶している限りではずっと私は腹痛に悩み、便秘に苦しんでいました。
7歳で扁桃腺を摘出されました。頻繁に風邪やインフルエンザにかかっていました。持久力がなく、体育ではいつもビリでした。ティーンのころは脂ぎった肌をして、にきび肌でした。
18歳で奇病にかかりました。脳卒中をおこし、左半身麻痺になったのです。
私の母は20代前半の私をデブとよびました。(私は50ポンドも太りすぎでした。)25歳のときは腹痛が我慢できないほど酷く、検査のための手術までうけたのです。私の母の願いは叶いました。私は母と同じ苦しみはしませんでした。
母の意図するものは良いものでした。母は当時の最高の栄養学のアドバイスにそったのです。そのアドバイスは食肉業界や酪農業界のアドバイスだったのです。カルシウムとたんぱく質はどんな食事プランでも崇拝されました。このような動物性食物をとることによって人間の健康に害を及ぼすことは承認されていました。しかし、食品業界から雇われた科学者の手によって軽視されていったのです。